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姓名判断コラム2 - 運命は自力で変えることができるか?

最初に答えを述べてしまうと、はいと言うことができると思います。自分の努力次第で、自分の運命は切り開いていくことができるのです。手相の世界では、自分の努力如何で手相は変わるといわれており(そうでないと主張する手相家もいますが)、たとえば自分の才能を超えて脳を使えば知能線が、健康に注意し体力を付けようと努力すれば生命線が、目的意識をもち凄いことを成し遂げてやろうと意識を変えれば運命線が変わるといわれています。しかし、姓名判断の観点ではどうでしょうか?自分が努力をしたから悪かった名前が良い名前に変わってきたなどということは有り得ません。では、運命は自力で変えられるというのはどういうことでしょうか。

運命は変えられるが、運勢は変えられない

姓名判断の観点から答えれば、運命は変えられるが、運勢は変えられないといえます。たとえば主運・前運・副運・総運すべてが凶数だという者でも、明確な目的意識をもち人並み外れた努力を長くつづければ、やはりそれ相応の報いがあります。同じように主運・前運・副運・総運すべてが凶数でしかも何の改革意識ももたずに怠惰な日々を過ごしている者に比べれば、必ず秀でた成功を手にすることができます。これは、彼が人並み外れた努力をした結果、自分の運命を変えたということではないでしょうか。

何もしなければ名声も財も幸福も手に入らなかったものが、自分はできると思い込み強い目的意識をもって努力し続けたことで、後年には幾分かの名声・財・幸福を手にすることができたわけです。(それ自体が既にその者の運命なのではないかという考え方はここでは置いておきます)

しかし、反対に主運・前運・副運・総運すべてが吉数に恵まれた者が前者と同じ努力をしたらどうでしょうか。その者は前者より頭一つ飛び抜けた成功を収めることになるでしょう。そして後年には自分では考えもしなかったほどの名声・財・幸福を手にすることになるわけです。これが名前のもつ威力、言い換えれば運勢の問題です。つまり、自力で運命を切り開くことはできるが、姓名の力がもたらす運勢は変えることができないという所以です。

ただ、今の話では些か疑問が残ります。いくら運命は自分の力で切り開くことができると言ってみても、姓名がもたらす運勢の力が強く働いているのであれば、自分で切り開ける運命にも限界があるのではないかという問題です。先も述べたように、主運・前運・副運・総運すべてが凶数だという者は、それだけエネルギー量も良名の者と比べれば弱く、健康も損ないやすいですから、運命を変えると言ってもそれに見合ったものしか得られないのではないかということです。これに関しては先天運の問題も絡んできますので、一概には言えませんが、やはり良名の者に比べれば、凶名の者は不利と判断することができます。それではどうしたらいいのでしょうか。

改名をして運勢を変え、運命を切り開く

あの天下人として知られる豊臣秀吉は、自分の運勢を上昇させるために、刀で自らの運命線を中指先端近くまで彫ったといわれています。実際にこれは手形として残っているのですが、明らかに不自然な太い線が掌中央から指先まで突き抜けています。姓名判断の観点でも、このようにして自分の運勢を変え、運命を切り開くことができると言えます。それが改名です。

何度も言っていることですが、「名は体を表す」という言葉どおり、姓名はその者の実体を表します。つまり、姓名のバランスが悪ければそれだけ凶事を招きやすく、健康も損ないやすい反面、姓名のバランスが良ければそれだけ吉事を招きやすく、エネルギーに満ち溢れ体も強くなります。これは起きている間だけではなく、寝ている間もずっと姓名の影響を受けていますから、姓名のバランスが悪い者は生きている間ずっとその悪影響を受けていることになり、健康を害すのは当然とも言えるわけです。現在何の不足もない良名だという人は別にして、名前が悪い人はその悪い分だけ、改名をすればしただけの効果があります。

しかし、改名をするといっても戸籍上の名前をすぐに変えることはできません。また、親から授かった名前を捨てて改名するということに抵抗を覚える人もいるかもしれません。ですので改名をすると言っても本名を捨てるというイメージではなく、本名はそのままに、新たに通名をもつというイメージでいいと思います。

新しい名前は高いお金を払って姓名判断家に頼む必要はなく、虎の舞の自動鑑定などを使って自分で良名を考えてください。それぞれの画数にはすべて内包する意味がありますので、それらを加味するとよりいいです。そうして付けた名前を、本名しか使えないところ以外ではすべて使い、周りの人間にも私はこれからこの名前を使うと宣言します。はじめは通名を使うことに恥ずかしさや抵抗があるかもしれませんが、徐々になれてくるでしょう。そして新たな名が確かに自分のものだと感じられるようになれば、少しずつその影響はその者の生命全体を覆ってきます。すぐには影響は現れないかもしれませんが、1年、2年と時を経る毎に確実に自分の内なる力が高まってくるはずです。

 自分の名を信じなければ運勢は変わらない

自分の名前を信じられなければ改名の効果はなく、運勢も変わることはありません。これは「自分の成功を信じられなければ成功は不可能だ」ということと同じです。いくら形だけ改名をしても、それを自分の名前だと心の底から信じなければ、到底運勢を変えることなどできるわけがないのです。たとえば新たな通名を考えたが、やはり通名を使うことには抵抗があり、心の底では自分の名前は現在の本名だと信じている場合や、本心では改名で運勢が変わるなど信じられないと思っている場合などです。このような形の上だけの改名では効果はありません。姓名の影響力を最大限にするためには、その姓名が自分のものであるという思いを、深く体に染み込ませる必要があるのです。

実は私の「青山昂史」という名も本名ではありません。自分の本名はそれほど凶名というわけではないのですが、それでも前運と副運(外格)に26の英雄的波乱数があり、幼い頃にはよく死ななかったといわれるほどの事故をしたこともあります。基本的に体は強いほうではありましたが、大きな怪我や病気をすることもあり運勢的には不安定でした。そうして二十歳を過ぎた頃あたりに初めて姓名判断というものに出会ったのですが、当時はなんだこんなもの当たるはずがないと言わんばかりに全く信じませんでした。しかし旧字体で占うある姓名判断サイトの結果をよくよく見ていると、何だか自分のそれまでの運命や自分の性格と重なる部分があり驚かされました。以来姓名判断というものに深い興味を持つようになり、幾つもの試行錯誤の末現在の名前に辿り着いたわけです。

今思うと、通名を使いはじめてから6年あまり、徐々にですが色々なことが好転してきたように思います。確かに名前を変えたその当時はあまり感じられなかったのですが、こうして時間が経過してから過去を振り返って現在の自分と以前の自分とを比べてみると、随分と変わったように思います。

たとえば以前は腰痛を病んでいたのですが、通名を使いはじめてからトレーニングをはじめ、以来腰痛はまるで無くなりました。体型も変わり、周りからも健康的になったと言われるようになりました。また、それ以前に考え方自体が変わったようです。あれほど嫌いだった読書や勉強が、今では好きと言えるほどになり、様々なことに意欲的に挑戦してみようという前向きな気持ちが出はじめたからです。それまでは無気力とはいかないまでも、不健康なだらしない日々を送っており、特に夢や目的もなく、半ばダラダラと人生を過ごしていたように思います。それが姓名判断というものに出会い、通名を改めたことで徐々にですが確実に変わったと実感できるわけです。もちろん改名をしたことで全てが変わったわけではなく、そこには前段階としての意識の変化や自発的な努力もありました。

ところがこのような話をしても、必ずと言っていいほどオカルト的な話だとして退けたがる人がいます。「改名して運勢が変わるなんて嘘だ。そんなもので運勢が上向くんだったら誰でもやってるし、みんな幸福になるはずだ。占い師はそうやって人を言いくるめる」だとか、「運命というものは先天運として生まれた時に既に決まっているから、そんなことはできない。悪い時期はやっぱり悪い」などというわけです。

このような人の共通点は、考え方が否定的でネガティブだということです。ですので運勢を好転させたいという人は先ず、前向きでポジティブな考え方をもたなければいけません。その上で良名に改名をし、姓名の暗示力・影響力を心から信じるのであれば、まず疑いなく運勢を好転させることができるでしょう。熊﨑健翁氏が言うように、まさに「姓名は生命なり」というわけです。