姓名判断コラム9 - 陰陽配置に吉凶はない!
姓名判断における陰陽配置とは、単に文字の偶数・奇数を黒丸・白丸であらわしたものです。姓名判断に少し詳しい方であれば、恐らく一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。この「陰陽配置」を重視する姓名判断家や流派では、四大運がすべて吉数であっても、文字の陰と陽のバランスが取れていなければ凶とするようです。では具体的にどのような陰陽配置が悪いのかということですが、これが極めて曖昧であり、一貫した理論などはありません。なぜなら、それはこの「陰陽配置」理論が、何の根拠もないところに出来上がった代物だからです。
この曖昧だということを理解いただくために、具体例を示します。以下、陰数(偶数)を●、陽数(奇数)を○とし、良いと言われている配置と悪いと言われている配置を別々に示します。
- 良いと言われている四文字名の陰陽配置
- 「●・○・●・○」
- 「○・●・○・●」
- 「○・○・●・○」
- 「●・●・○・●」
- 「●・○・●・●」
- 「○・●・○・○」
- 悪いと言われている四文字名の陰陽配置
- 「○・○・○・○」
- 「●・●・●・●」
- 「○・○・○・●」
- 「○・●・●・●」
- 「●・●・●・○」
- 「●・○・○・○」
- 「●・●・○・○」
- 「○・○・●・●」
皆さんもうお分かりだと思いますが、上記の良い配置と悪い配置を分けるものは、陰陽が「偏っているか否か」だけです。たとえば「○・●・○・○」は良い配置だと言われますが、「●・○・○・○」は悪い配置だと言われます。その差は非常に曖昧で、恐らく後者では●が隅っこに一つだけのため、とてもバランスが悪く見えるからではないでしょうか。言わば恣意的かつ主観的なのです。そして、どうして陰陽が偏っていると凶になるのか?そのことをきちんと説明できる人は誰もいません。なぜならこの「陰陽配置」理論が、先ほども述べたように何の根拠もないところに出来上がった代物だからです。以下は、私も共感する熊﨑健翁氏の「陰陽配置」に対する見解です。
『ここに序でながら、黒星を陰とし、白星を陽とし、奇数、偶数の配置による吉凶を重点として説いた、陰陽黒白というのがある。凡そ天地日月の大哲理から説かれた、易学の示すところに正反対であっては、正しい運命学と言われぬのは当然のことである。この見地に立って考える場合、易の代表的卦象は、●●●○○○の如く陰三を上に陽三を下にした姿で、これは「地天泰」」と云い、総ての易者の表看板に掲げてある。地天泰は陰陽交通調和して、家族和合、天下泰平の意を司る吉卦である。然るに黒白丸式の姓名判断に於ては陰陽不調和の大凶配置で、極端は災厄を招くことになっている。
易の「地澤臨」は●●●●○○の配置でこれまた易卦では吉、姓名判断では大凶とある。これに反し●○●○●○は「水火既済」という凶卦であって、姓名判断では、陰陽調和の大吉だといい。○●○●○●は「火水未済」という凶卦であって、姓名判断では大吉と説いている。結局これ等は、易の真理を知らずして、勝手に思い付きのままの説を立てているという外はない。真理のないところに正確率の立つ筈もないのである。』(神秘姓名学決定編:熊﨑健翁(著)より)
ここで熊﨑氏の易卦に対する吉凶論には反論がある方もいるかもしれませんが、本質は「陰陽配置」理論が多分に主観的・恣意的な思いつきのものであるということです。ところで易の卦についてよく知らないという方もいると思いますから、以下に熊﨑氏の言葉の中に出てきた四つの卦を至極簡単に紹介しておきます。卦の「」内の陰陽配置は左が上、右が下となっています。
- 地天泰(ちてんたい)「●●● ○○○」
- 天地が融合する大吉卦です。この卦は上に地があり、下に天のある形(陰三つで地、陽三つで天をあらわします。)で、どうしてこれが吉卦なのかと首を傾げる方もいるかもしれません。正に主観では、「これは天があるはずの上に地があり、地があるはずの下に天があるわけだから、凶だろう。」と誰しも思うかもしれません。しかしそうではなく、この卦は天は昇ろうとし、地は下ろうとして、互いに相交わろうとする、すなわち天地融合の卦で、安泰・泰安・不動・万事順調などの良い意味があるのです。しかしそれに反し、姓名判断の「陰陽配置」理論ではどうでしょうか?これは先ほども見たように凶となっています。
- 地澤臨(ちたくりん)「●●● ●○○」
- この卦は上に地、下に沢のある形で「地澤臨」と言います。これは上記の「地天泰」のような理想的な吉卦ではありませんが、概して悪くはありません。陰・陰・陰・陰・陽・陽という並びですから、下から陽がじわじわと伸びてくる形で、つまり希望をもって前進していく時に当たります。ただし、この卦は進む道や判断を誤れば事態が暗転する可能性も秘めています。ちなみに姓名判断の「陰陽配置」理論では陰陽が偏っているため凶となるでしょう。
- 水火既済(すいかきせい)「●○● ○●○」
- この卦は上に水、下に火のある卦です。ご覧の通り陰陽は互いに交わりあっており、如何にも良いように思われるかもしれませんが、上は水で下は火であり対立する性質をもった水と火が隣り合っている形ですから、当然吉卦とはなりません。この卦は既に陰陽がきちんと整っていることから、「はじめは良いが終わりは乱れる」などの意味があり、順調にいっているようでも次第に乱れを生じやすいため、よくよく注意していなければならないということを教えています。しかし姓名判断の「陰陽配置」理論では、これは陰陽がよく整っているため吉となっています。
- 火水未済(かすいびせい)「○●○ ●○●」
- この卦は先ほどとは逆で、上に火、下に水がある形です。「未済」というのは未だ整わず、未完成の意味があります。この卦は確かに陰陽は順番でよく整っていますが、始まりを意味する一番下に陰があり、その順番が「水火既済」とは全く逆なので整っていないということを教えています。この卦には困難・失敗・時と所を得ずなどの意味があり、概して凶卦と言えます。これから気を引き締めてスタートという卦です。ところが姓名判断の「陰陽配置」理論では、これは陰陽がよく整っているため吉とあります。
姓名判断の基本は五格であり、文字の陰陽配置を改めて見る必要なし
これだけを見ても、姓名判断における「陰陽配置」理論がいかに空虚なものかが分かっていただけたかと思います。では、今回の主題である「陰陽配置に吉凶はない!」ということですが、これはどういうことかと言うと、姓名判断において四大運並びに三才配置をきちんと整えた場合は、既に数の配置は悉く整っている状態であり、そのため陰陽配置を改めて特別に見る必要はないということです。ここで言う「数の配置」とは、白黒であらわされる文字それぞれの陰陽配置のことではなく、五格を基本とした数配置のことです。
姓名判断では個々の文字の数に重きを置くのではなく、姓の最後の文字と名の最初の文字を合わせた人格や、姓名すべての文字の数を合わせた総格というように、必ず格を取って判断します。つまり、最終的に重要なのは文字それぞれの数ではなく、それらを合わせた格数なのです。すなわち天格・人格・地格・外格・総格全体のバランスが数配置であり、これが最も重要です。この五格のバランスがしっかりと整っている状態、すなわち大吉名であれば、その陰陽配置がすべて陰であれ陽であれ、非常に強い運勢を発揮します。これが「陰陽配置に吉凶はない!」と言う理屈です。
しかし、それではこの「陰陽配置」は全く無意味なものなのかと言えば、そういう訳ではありません。陰陽配置自体に吉凶はありませんが、姓名の格が分子だとすれば、個々の文字は原子であり、この原子が姓名全体の性質を決定しているわけですから、個々の文字の数や陰陽を見ることによって、その者の内面的・本質的な性質を判断することができます。
最後に文字の陰陽配置について、少し実例を出してみます。以下は陰陽配置は悪いが、私の判断では決して悪くない人達です。
- 森田一義 (●○○○)
- 陰陽配置は偏っています。しかしながら前運に凶数あるのみで、これは主に前半生の波乱を示しているものの、他の格はすべて吉数でしかも三才が最大吉の配置となっているため、概して一生を通じて運勢は良好です。人格を構成する数は田(5)と一(1)であり、どちらも吉数のため非常に良い組み合わせであることに加え、5数の土は人格である6数の土を助け、重厚な度量と穏和さがあります。名の最後にある「義」の文字は13数の火で明朗活発な性質ですから、頭の働きが鋭く明るい性質を備えている反面、姓の最初の文字である「森」は12数の木でこれはジメジメとした暗い性質で神経質な面をもちますから、人見知りをするところもあるでしょう。陰陽配置は関係ありません、吉名です。
- 坂上忍 (○○○)
- 陰陽配置はすべて陽となっており、しかもそのうち「坂」と「忍」は共に7数の金であるため、非常に強い自我を秘めています。そればかりか、前運・副運・総運すべてが金ですから、表向きも非常に自我が強く口うるさい性質で、かつ短気・冷淡・強情などの性質をもち、物事に敏感で怒りやすいでしょう。また、人格に10数をもつ人は人一倍神経質な分ストレスが溜まりやすく、苦労性で内面に孤独の性質を有しています。ただし、三才は【水・水・金】と境遇に恵まれる配置をもち、隣り合う格に金のぶつかり合いがありませんから、概して人間関係は良好です。姓の最後の文字である「上」は太陽の様な暖かさをもった火ですから、その内面には親切かつ暖かい心を蔵しています。
- 西島秀俊 (●●○○)
- 陰陽配置は偏っていますが、四大運すべてに吉数を有し、なおかつ三才配置万全の【土・金・土】と極めて強い運勢を誇ります。人格の金は天格・地格・外格すべてから生じられているため、胆力・気力が極めて強く、何事にも屈しない鋼の精神力を有しています。外は土、内は金ですから内柔外剛の質で信頼があり、誰からも愛される徳も備えています。また、総運の32数は福徳・財運・家庭運など総合的な大吉数であり、人生順境順風、全く言うこと無しの大吉名です。
- 小泉進次郎 (○○○●●)
- 陰陽配置は偏っていますが、数配置は万全でとてもバランスが取れています。主運・副運がともに火であるため明るい性質で弁舌に長けます。性格においては短気・急躁的な面を多分にもちながらも、その三才は【木・火・土】であり調節が効いています。人格の火は天格の木に生じられながら、地格の土を生じるという大吉配置で、政治家では地格は有権者にも当てはまりますから、とても人気があるでしょう。それに加え、智恵を司る35数や24数をもっているため、燃え上がりやすくも思慮深い面があります。その落ちついた内面は人格の構成要素でも分かります。「泉」は9数の水であり火を消し、「進」は15数の土であり火のエネルギーを吸収するからです。総運の47数は努力家で次第に発展し、晩年には大きな花が開く幸運数です。
いかがでしたでしょうか。最後にもう一度言いますが、文字の陰陽配置自体に吉凶はありません。それは姓名の最も基本的な要素である五格を構成する原子とも言える存在であり、重要なのはそれらが組み合わさって出来る五格の数理とバランスです。これさえ整っていれば、改めて文字の陰陽配置をうかがう必要はないのです。