家庭運と仕事運のデタラメとは【姓名判断迷信シリーズ8】
今回は度々ご質問をいただく家庭運と社会運について解説したいと思います。【姓名判断の迷信】などと言うと、『姓名判断自体が迷信じゃないの?』と突っ込まれそうですが、やはり姓名判断においても地に足のついた理論とそうでないものがあります。
問題は、色々なサイトを拝見しましたが、家庭運や社会運について、その是非や真偽を全く論じていないことです。ただ家庭運が悪いとどうなるか?社会運が悪いとどうなるか?対処法は?等と書かれており、あたかも家庭運や社会運が周知の事実のように記述し、何も知らない素人をその気にさせることで不安を煽ります(おそらく書いている人もそこまで深く考えていないのでしょう)。
さて姓名判断に詳しい方であれば、これら仕事運と家庭運の計算方法(出し方)もよくご存じのことでしょう。しかし知らない方も多いと思いますので、今回はその基礎的な部分から解説していきます。
家庭運と社会運は誰が考案した?
これらの運の原初については、あの最も複雑な姓名判断と言われる、桑野式姓名判断の著書に【家庭運・社会運】の記述を見ることができます。
【桑野式内画法姓名判断】のウェブサイトにも、『五格に家庭運や社会運ら四運をプラス。初年、中年、晩年と人生を三区分する内画法。斜同格や横同格を代表とする同格・同数現象。これらはすべて桑野式が独自に発明した画数占いです。』とはっきり書かれています。
初代・桑野式の創始者(桑野嘉都郎)の著書が昭和42年(1964年)に出版されていますので、家庭運と社会運の原初は1960年代頃と考えられます。結構古いですね。また上記のとおり、あの有名な『同格』理論を生み出したのも桑野式だと言われています(私は同格についても、何の根拠もないと批判記事を書いていますが)。
家庭運と社会運の出し方
次に家庭運と社会運(仕事運)の出し方について見ていきましょう。これはいたって簡単です。以下をご覧ください。
- 家庭運:人格の数と名の最後の字の画数の和。
- 社会運:人格の数と姓の最初の字の画数の和。
となります。もし一文字名・一文字姓の場合は、熊﨑式同様霊数1を加えます。例えば『瀧廉太郎』の社会運は、人格の21に霊数1を足した22となるわけです。
また『岡武』のような一文字姓・一文字名の場合は、家庭運・社会運ともに人格の16に霊数1を足した17となるわけです。簡単ですね。
ここで気付いた方もいるかもしれませんが、上記は五格から完全に逸脱している、という点です。五格の構成要素として理論的根拠のある、熊﨑式が定めた天格・人格・地格・外格・総格のうち、家庭運では人格~地格部分を含み、社会運では人格~天格部分を含むという、格をつなぎあわせるような構成となっているのです。
ところで最大の疑問点として、なぜこれらの新しく考案された格が、家庭運や社会運を象徴するのでしょうか?
家庭運と社会運に理論的根拠がないことについて
実は桑野式には本体と内画(本体から分離された新しい五格構造で、クラスA,B,Cと年代別に分類される)というものがあり、現在言われている家庭運と社会運(仕事運)は本体側のものなのです。しかし本体の社会運について、桑野式の2代目・桑野燿こう(日+高)氏はその著書で、こう語っています。
同じ社会運でも、本体の場合と内画法に出てくる社会運では運勢的な支配力が極端に違いますので、厳密に交際運と援助運とに区分をします。
交際運(いわゆる、現在いわれている社会運や仕事運のこと):本体の社会運を交際運と呼びます。どんなことに興味を持つかなどをみるポイントです。その交際もお互いの信頼関係までは進めず、朝晩の挨拶程度です。運勢的に決定的な作用はありません。交際運が凶数の場合は、犬や猫、鳥や金魚を飼ったり、可愛がったり、盆栽や庭いじりに興味を覚えたりする人が多いようです。
引用:【桑野式 新内画法姓名判断】
まず注目すべきは、著書自身が社会運(本体側)について、『運勢的に決定的な作用はありません』と言っていることです。『犬や猫、鳥や金魚を飼ったり、可愛がったり、盆栽や庭いじりに興味を覚えたりする人が多いようです』とは、随分曖昧な表現ですが、要は特に大きな作用・影響はありませんよ、と著書自身が語っているのです。
しかし家庭運(本体側)については、同じ著書内で以下のように、とても重要だと語っています。
生まれてきた環境、両親の教育、習慣、社会の思想などによって、存在している自我を芽生えさせ、人間生活のすべてを善や悪に導いてしまう大きな力を持っています。一個人、夫婦、職場、地域社会、国家というように小宇宙から大宇宙まで無限な広がりを持ち、吉数か凶数かによって、ほかの運格の軌跡まで変えてしまうほどの影響力があります。(後略)
社会運(仕事運)が大きな作用がないことに比べ、こちらの家庭運では逆に『一個人、夫婦、職場、地域社会、国家というように小宇宙から大宇宙まで無限な広がりを持ち』と極端に大きな影響となっている点は注目すべきと同時に、なんとなく解せない感じがするのは、おそらく家庭運という名称と、なぜその格がそれほど強大な影響力をもつのかが疑問として残るからでしょう。
ところが問題は、著書のどこを見ても、それらの格がなぜ家庭運をあらわすのか?社会運(仕事運)をあらわすのか?に対する記述や答えがないことです。なぜなら、それは理論的根拠が全くないから、説明しようにもできないのだと私は推測しています。
少し考えてみても、なぜ人格と地格をまたいだものが家庭運をあらわすのか?なぜ人格と天格をまたいだものが社会運をあらわすのか?なぜその逆ではダメなのか?など全く理解できません。このように、自分で考えてみて理解できないこと、加えて理論的根拠がないものについては、私は信じるに値しない迷信程度のものと考えています。
そしてこの理論的根拠が薄弱である点は、桑野式が提唱する同格・同数理論や、内画法などすべてに同じことが言えるのです。
そもそも社会運は仕事運ではないということ
最後に、現代では桑野式の社会運ついて、占いサイトの多くで仕事運として紹介されているようです。このため、おそらく多くの人は『仕事の運勢(財運や対人運・出世運)』として考えているようですが、先ほどの桑野燿こう氏の記述を見ても分かるとおり、これは違います。
正確には社会運(本体側)は、『本体の社会運を交際運と呼びます。どんなことに興味を持つかなどをみるポイントです。その交際もお互いの信頼関係までは進めず、朝晩の挨拶程度です。運勢的に決定的な作用はありません。交際運が凶数の場合は、犬や猫、鳥や金魚を飼ったり、可愛がったり、盆栽や庭いじりに興味を覚えたりする人が多いようです。』とあり、交際運程度のもので、そもそもが仕事の運勢をあらわすものではないと本家が言っているのです。
ちなみに内画法における社会運のことは『援助運』とされており、こちらは影響力がかなり大きいようですが、内画法自体の根拠が全く不明ですので、私は信じるに値しないものだと判断しています。